このカテゴリの1本目のエントリーとして、バリ島の思い出を記してみたくなった。もう随分昔の話になってしまったが、1988年の3月と1998年の5月にそれぞれ約10日、バリを訪れた。
いちばん驚いたのはやはり、ウブッドの変わりようだったかなぁ。。。
1度目のバリ訪問
一度目は、いわゆる”卒業旅行”。ジャカルタ、ジョグジャに滞在して、バスでバリに向かった。たくさんの牛と人が行き交う道を、超高速でぶっ飛ばす。危ないよ~。バリ海峡は船で。ギリマヌックで日の出を見た。ジョグジャで、「これはきっと死ぬぞ」というほどの腹痛にのたうちまわった後で、体調ものぼり調子。「いよいよ来たんだなぁ」と気持ちを奮い立たせる。バリ島の南岸をバスは走る。この世とは思えないような美しい棚田の風景と、どこかしら聞こえてくるジェゴグの野太い音。デンパサールに着いたのは昼過ぎ。白タクの声を振り切って、クタ行きのベモを拾ったっけ。
クタでは、Jl. Legian の『たこ八』に入り浸った。いろんな人と出会ったなぁ。”さくらだまこと”さんはどうしてるんだろう。インドネシア語では、”Saku Rata Makato”、訳すると「金なしま○こ」って紹介されたので、忘れようがない。兄の会社の社員旅行の途上、シンガポールかどこかで捨てられて、バリに辿り着いたらしい。数年後の「地球の歩き方」に彼らしき投稿を見つけたので、まだ、バリにいらっしゃるのか?
中学生ぐらい(14歳って言っていたと記憶している)の女の子、マディ(だったっけ?)との出会いには、縁を感じた。天真爛漫という言葉そのままの彼女。ジャカルタ出身で、バリ島には出稼ぎにきていた。ジャカルタで滞在した Borneo Hostel で働いていて仲良くなった カルヨノとは幼ななじみだということが分かって、盛り上がったっけ。
この当時から、日本人女性のバリボーイ買いはあったみたい。それを自慢げに話していた女子大生とも知り合いになりました。ターゲットはオージーだったみたいですが。
クタからウブッドへは、ジャカルタから同行していた愛知県のIさん、記憶が確かでないのだが、おそらくたこ八で出会った東京のSさん、他数名(忘れた)と向かう。途中でベモを1回乗り継いだ。
2 回目のバリ訪問
2回目の訪問は新婚旅行。ジャカルタ経由の便で行ったのだが、ジャカルタで間違って税関を一度出てしまったのには驚いた。「間違えました」と言って、難なく引き返せたのは奇跡か?
クタは、1回目に訪れたときより、都会っぽくなっていたが、人の熱気みたいなものが薄れ、何だか寂れてしまったように感じた。大雨が降るなか、小川のようになった狭い路地を、あちこち歩いたのが唯一の思い出かな。たこ八は、随分場所が移動していたのを見つけたが、開いていなかった。残念。昔は高級リゾート地と謳われていたサヌールにも足をのばす。ル・メイヨール博物館は、一見の価値ありも、バブル崩壊後のリゾート地って感じで、もう行かないかな。La Taverna Bali のピザは確かにうまかった。
ウブッド
いちばん驚いたのが、その変わりよう!! Jl. Raya Ubud の中心部以外には街灯もなかったので、夜には懐中電灯片手に、水田の畦道と言ってもいいような細い未舗装の道を歩いたものなのだが、これはどうしたことか!? すんごい都会じゃないの。。。2度目のウブッドは、予定を切り上げ、2泊で後に。旅行者の勝手なセンチメンタリズムと言われるのだろうが、1988年のウブッドが跡形もなく消えうせたような気がして、寂しかった。
1988年3月
目が覚めるのは6時頃。水のシャワーでマンディー。トーストとフルーツサラダ、紅茶といったお決まりの朝食をとって、畑のどまんなかにあるロスメンを後にする。目的地はプリアタン村に行く道の途中にある、地元の人たちがたむろする喫茶店(?)。クラッシュアイス入りフレッシュジュースで暑さをふっとばし、一日の活動をはじめるのが日課になっていた。
アートギャラリーには、世界中から集まってきたアーティストたちのバリ絵画が展示されている。点在する木彫工房では、中学生程度と思われる子どもたちがのみを振るっている。どこからら聞こえてくるガムラン。音をたどっていくとウブッド宮殿に。練習風景を見ていると、いつの間にか時間が経過してゆく。
とし子さんの Ubud Raya Cofeeが、いつの間にかお昼のお決まりに。苦労して探したという日本食にあう米は、シンガラジャ産だったか? 親子丼と味噌汁で久しぶりの日本食。感動! そして、少しホームシックになった。ここでは、トランプをしたりして、決まって長居(国籍問わず、やってくるのは外国人ばかりで、大抵は長居していた)。時折、声も通らなくなるほどのスコールがやってきた。
夜は真っ暗闇のなか、ロスメンから30分ほど歩き、Beggar’s Bush に通った。よく冷えた生ビールに洋風料理!。日頃の鬱積したもやもやを吹き飛ばすがごとく、酔いつぶれるまで大はしゃぎ。。。ストイックじゃないと続けていけないバックパッカーたちの貧乏旅行。なんだけど、ウブッドでは、仲間たちみんなで、はめを外し、酔いつぶれるまで大はしゃぎしました。
滞在したのは1週間だったか、10日くらいだったか? 随分長くいたように思われる。その間、とても親切だと評判の、インドネシア語をほとんど話せないひげのにいちゃん経営のロスメンに滞在した。窓は竹格子。夜が更けた後に戻ってきてベットに倒れこむと、たくさんの蟻さんたちが先に寝ていて、ひどい目にあったっけ。
1995年5月
今回の旅でも、ウブッドは一番の目的地。日頃お世話になっている人へのお土産を買う目的もあったので、旅の後半に訪問。
ペネロカンからのバスは、予定とは違った場所に止まった。降りた途端に宿泊宿の猛烈な客引き。そこから違っていたんだけど、1988年のウブッドは夢だったのだろうか? と思うほどの変わりよう。人の多さに2輪、4輪の交通量、せわしなさ。。。
「少しでも静かなところで…」と、重い荷物を背負って宿探し。1時間ほど歩き回って、SUARSENA Bungalow’s に泊まることにした。部屋からは水田が臨め、合鴨たちがせわしなく動き回っていた。ようやく、ウブッドの風景を手に入れたような気がしたが、落胆の大きい滞在だった。
Ubud Raya Cofee にも、Beggar’s Bush にも、昔の賑わいはなかった。Trene Jenggala のケチャは、それなりによかったが、笑いながらするなよぉ。ちゃっかりライブ録音して、いまでもたまに聞いていますが。今度バリ島を訪れた際には、再びウブッドに行くだろうか? 2度のバリ訪問でウブッドに感じたギャップは、いまでも消化しきれないでいる。
ロビナの天才
2度目のバリ訪問が、寂しい限りで終わったわけじゃない。ロビナの海は、透明度はそこそこあるものの、驚くほどじゃなかったが、イルカツアーは楽しめた。イルカに遊んでもらいました。
んで、ここで、天才を発見! SEMINA レストランでのバリダンス”Mystical Rangda Dance”を見に行ったのだが、大感動!
いささか疑わしい、僕の審美眼なのだが、「『ロビナに天才出現!』と世界中で大騒ぎになってもおかしくないぞ!」と、とんでもなくのめり込む。写真がその天才君。後日、一座のおにいちゃんのバイクの後ろに乗って遊んでいる姿を見たのだが、歳は10歳くらいだろうか。
こいつらすごすぎる!! トヤブンカ
客引きがすごいと聞いていたので、少し構えていたペネロカン。けど、全然そんなことなく、目的地であったバトゥール湖のほとりのトヤブンカに至っては、一切なし。ガイドブックには載っていなかったが、いちばん雰囲気よさげで価格もリーゾナブルな ARLINAS に宿泊を決める。宿の子で、はにかみ屋のクトゥットと仲良くなった。
売り込みがなかったわけじゃない。バイクに乗ってやってきたのは、マルティン。本名かどうかは疑わしいが、バトゥール登山ガイドの売り込み。実は、トレッキングシューズをはいての旅。これが大きな目的のひとつ。
はじめそっけなくしていたんだが、マルティンの話は止まらない。次第に、気のいいおっちゃんだということが分かってきた。最終的には、1人US10$にまけると。宿のパンフでは、ロングトリップでUS25$+21%のサービスチャージという料金設定になっていたので、契約合意。夕方過ぎ、そのマルティンがバタバタと(そんな雰囲気の人なんです)やってきた。「バイクでこけて、行けなくなった。兄に行ってもらう」とのこと。その兄の名がペーター(領収書にサインがあるので、実は憶えてないのだが、そうだったんだと思う)。
翌日、長身で寡黙なペーターに先導され、日の暗いうちに出発した。頂上直下で、火山熱で焼いたバナナサンドの朝食。そして、バトゥール山頂での日の出を拝む(日本人!)。バトゥール湖と、バリ島の最高峰、グヌン山の眺めが最高だった。ゴーッと火音をを立てている、むき出しの溶岩も見物したが、夜になると麓からも、その赤く燃える様が見え、ゴーッという炎の音も聞くことができた。
登山以外は、日がなのんびり。敷地内のレストランがいい涼み場所。小骨は多かったが、バトゥール湖で撮れたという白身魚の煮付けはまずまずの味。お祭りが近いのか、宿の子供たちが踊りの練習。地元の人が、結構、いろいろ話しかけてくる。口べたな画家志望の若者。すごくいい絵を描く。気に入ったので2枚買った。
2泊目の日は運良く、地元の祭りの日。宿の人が一緒に行こうと誘ってくれ、嫁には祭りの衣装を着付けしてくれた。軽トラの荷台の淵に腰掛けて、トヤブンカの入り口にある祭りの広場に。”Sakit Zid!” 一人が叫べば、周りの若者も、にたにたしながらみんなが叫ぶ。すぐに、『痔』のことと気づく。誰や、そんな日本語教えたんは。。。多分、「俺、痔やから、すわられへん」とか言った日本人がおってんやろうなぁ。
祭りは日が暮れる前から始まる。トヤブンカの人たち総出の祭り。ガムランの演者、ダンサー、みんな村人。こいつら、ほんますごすぎる! 全員芸術家!! そういえば、宿のバンブーの家具も、老人が手作りしていた。
またバリに行きたい
2度目のバリ訪問からはや7年。戒厳令が敷かれたこともあったが、またバリに行きたい。。。